2018年末日本帰国を振り返る
久しぶりのブログ更新。
今回はかなり個人的な内容であることをご容赦願いたい。
日本に一時帰国した際に考えたことを雑多に書き記しておこうと思う。
1. 日本にもしがらみがあるということ
仕事柄途上国のド田舎にいることが多い。
そこでは外部者である私が地元地域に受け入れられるのに時間がかかったり、関係性をじっくりと作ってからでないと物事が進まないなど、地元のしがらみを意識することが多くあった。
今までは帰国する度に、日本では関係性をじっくり構築する必要はなく、プロセスの進みが早く、
日本はいいなあ、それに比べて途上国は。。と思ってしまっていた。
今回の帰国で、今まで『日本』と一般化していた対象は、自分が知る都市の日本であったということに気がついた。
友人と話している中で、日本も田舎に行くとよそ者は日本人であっても受け入れられなかったり、近所の人に自然と行動を把握されていたりしていることを教えてもらった。
また地元の地方のサッカーの初蹴りに参加したときは、開会の挨拶に多くの関係者が呼ばれていた。話も長い。ケニアと大して変わらない。
新春の挨拶で地元の有力者の顔を立てることは、私たちもあなたも地域の一員だよと互いに承認するための儀式のように感じた。
途上国、先進国の別を問わず、しがらみに基づいたコミュニティは存在しているのだということを理解した。
2. 愛とはなんだろう
大切な人が大切にしていることを大切にすることが愛なのだと教わった。
もし私が誰かに大切にされているのであれば、自分自身を大切にすることも愛なのだ。
愛は他人や自分の外に対して与えていくものだと思っていた。
だけど、大切にしている人が大切にしていることが私自身だった場合、自分を大切にしないとその人を愛していることにはならない。
私は自分のことやプライベートは二の次にして、自分が大切に思っていることに情熱を注いできたように思う。
しかし自分の心身を大切にしないことには自分の大切にしている人を愛せないことになってしまう。
今年は自分の心の声に耳を傾け、自分のしたい•したくないに反応していこうと思う。また仕事だけでなく、プライベートの生活も充実させていきたい。
3. 志と夢の実現に向けた具体的な手段の大切さ
自分の夢に対する志の弱さと、夢の実現に向けた具体的な手段の欠如を思い知った帰国だった。
いとこの中学生の友人と話していたときに、彼は全ての人が基本的な読み書き計算能力を身につけることができる社会を実現したいと熱を込めて語ってくれた。
同世代の友人は、人が自己実現を達成できることに携わりたいと、こちらも熱を込めて語ってくれて、圧倒された。
自分は途上国の現場でそこにいる人たちのために働くという夢は叶えることができたが、
自分の初心はなんだったんだろうと思い返した。
なんとなくは、『全ての人たちが生まれた属性に関係なく教育を受け、等しく成功するチャンスが得られる社会を作りたい』
『平和な世の中を実現したい』と記すことはできるが、果たして熱を持って語れるのか。
なぜ熱を持って語れなくなっているのか。
最初は熱を持って入社しても何年もダラダラ働いていたら、その人の目は腐ってくるようだ。
自分はパッションを持って自分の夢に向かえるのか、そのパッションはどこから出てくるのか、もう一度考え直す必要がある。
またその夢の実現に対してなんとなく惰性でやってきていたことにも気づいた。
夢の実現のためには自分を律し、明確な数値目標を立ててやっていく必要がある。
大学院進学という目標に対してなんとなくやってきたけれど、だらだらしてしまったり、先が見えない中でやっていることに不安も感じていた。
大きな目標を掲げ、それに向けての明確な数値目標、手段を設定する。
そうすることで、今に全力で取り組む。
定期的に振り返ることで軌道修正をする。
今年はそうやって自分が立てた目標に向かっていきたいと思っています。
2019年は坂道を登ることが多くなりそうだけど、登りきった後に大きな幸せが訪れることを信じて頑張ろうと思う。