大人になって「いい子症候群」であることを自覚した
スクールカウンセラーをしている友人がケニアにきてくれたときに、彼女が関わる小学校の児童の話を教えてくれました。
「先生も親も気づいていないんだけど、実は勉強もできるいい子が一番危ないんだよね」と。
26になる大人がぎくっとしたのを覚えています。
友人がケニアから帰った後に、ネットで「いい子すぎて育った」とググると、いい子症候群は要注意という記事をたくさん見つけ、そこに書かれていることの多くが自分に当てはまっていることを知りました。
多くの記事がいい子症候群の子どもへの対策を書いているのですが、いい子症候群のまま大人になってしまった人の状況と対策について書いた記事は少ないです。
今回は26歳にしていい子症候群であった・あると自覚した自分の現在の生きづらさと今後このいい子症候群とどうやって向き合っていけばいいかを書きたいと思います。
いい子症候群とは何か
「いい子症候群」とは、保護者のかたが思い描くような「いい子」でいようとするお子さまのことです。
お子さまはいい子でいようとして、自分の気持ちを抑えてしまうことがあります。
私はまさにこのいい子症候群の定義に当てはまるように感じます。
小中高校ではお勉強はでき、学級委員や議長なんかも務め、先生の言うことには従う、いわゆる優等生でいい子でした。運動もそこそこできたので、自分は何でもできる子だと思っていました。
(大学に入学して井の中の蛙だったことを知ったけれど)
そして、親だけでなく先生や周囲の人が考える「いい子、優秀な子」になろうとして努力してきました。
そして勉強ができたり、運動ができたり、上手くクラスをまとめたりできたら「良い子だね、できる子だね」と褒められました。そして褒められるのがとっても嬉しく、嬉しいからまた頑張ろうと努力が続けられました。
ネット上にはいい子症候群診断というサイトもあり、私はYesが7個あり、いい子症候群である可能性が高いという診断が下されました。
moomii.jpこの診断は甘すぎる気がするのと、私自身には表れていない症状(新型うつ・リストカットなどの爆発)もあるので、100%典型的ないい子症候群ではないと思います。
一方で大人になってからの自分についても当てはまることが多く、いい子症候群的要素を引きずって大人になってしまったように感じます。
上の記事にいい子症候群の特徴の1つに反抗期がないことが多いとありますが、私自身も反抗期がありませんでした。
弟が親に反抗しているのを横目で、なんで親の手にかかることをしているんだろうと思っていました。
家庭環境が劣悪だったわけではありません。一方良い子だね、良くできるねと言われて育ったのと、年子の弟がいてお兄ちゃんとしてしっかりしないといけないという思いがあったのかもしれません。
ちなみに私は友達のお母さん方からの受けが良かったです。お母さん方から、いつもてっちゃんは良い子ねと褒められてきました。
大人のいい子症候群の生きづらさ
いくつかのサイトでも紹介されているものとかぶりますが、私が感じるいい子症候群の生きづらさをいくつか挙げたいと思います。
本来の自分が何をしたいかわからない
正直自分自身が何をやりたいのかわからないことが多いです。
人があれをやりたい、ここに行きたいと言ってくれると楽です。
いつも周りの人が求めるものを察して意思決定してきたような気がします。
ケニアで国際協力の仕事をするという選択をしている時点で、自分がやりたい道を突き進んでいるじゃないかと友人から言われました。
確かに自分で国際協力の道に進むことを決断し、ケニアに来るという決断をしたのですが、もしかすると人助けをするNGOの仕事が尊敬に値するいい仕事であるというイメージを潜在的に感じ取りこの道に進んだのかもしれません。
強く感じるのが、何かの決断をするときに、
自分がやりたいことなのか、それが人に求められたことなのか判別することが難しいことが多いです。
傷つきたくない
常にいい子、できる、優秀だねと言われて育ったので、自分自身や自分のやっていることを否定されたくないという気持ちが強いように感じます。
敵を作って自分を批判されるのが嫌なので、誰とでもうまく接することはできます。知りあいはとっても多い一方で、自分が思っていることを腹を割って言いあえる友人はほとんどいません。
また失敗することに慣れていません。失敗して傷つくのが怖いです。
いつも失敗する手前であきらめるか失敗を失敗とみなさないようにして生きてきたような気がします。
感情が上手く表せない
上の傷つきたくないに関わるのですが、感情を上手に表すのが苦手です。
特に何か嫌なことが自分に起こっても怒ることが苦手です。
言い争うのも苦手です。
自分の気持ちに従って気持ちを表すということに慣れていないからです。
感情を表すというより我慢してしまうことが多いです。
今後いい子症候群とどう向き合っていけばよいか
多くの記事がいい子症候群を問題視して、大人になってから多くの問題を引き起こすと警告しています。
就職してもすぐ辞めたり、ミスを上司のせいにするなどの新型うつの原因にもなると書いてある記事もあります。
そして周囲の声ではなく、自分の声に耳を傾けられるようにするべきだと主張しています。
ある記事には
自分が心の中につくりだした「親」の目から解放される必要があります。
allabout.co.jpと書いてありました。
確かに、人がどう思うかではなく、自分が何をしたいか心の声に従って意思決定ができるようになりたいと思っています。
一方で26年間そういう生き方をしてきた自分が完全に自分の声だけに従って決断をくだせるようになるのは現実的には難しいです。
どうしても先生や周囲の意見が気になってしまうのです。
また上でもちらっと書きましたが、そもそも自分がやりたいことなのか・他人が求めていることなのか判別することも難しくなっています。
その場合は自分のやりたいことを見つけ出すのも一苦労です。
さらに言えば、人の気持ちを考えられるのは良いことでもあると思うのです。
いい子症候群を問題視しすぎるのではなくて、まずはそうやって生きてきた自分を肯定する。そして自分の心の声に徐々に耳を傾けて、いい子症候群とも上手に向き合っていく。そんな生き方が重要なんじゃないかと思うのです。
私は大学を卒業してから、親元を離れて異国で孤独な日々が続いていますが、これは自分の声に耳を傾けるいい機会かもしれません。
親や尊敬する先生も近くにおらず、日本社会のように周りにきょろきょろしなくていいので、
自分のwantを真の意味で見つけ出すことができるかもしれません。
国際協力の仕事も潜在的にはいい自分を演じるための道具的な側面があったのかもしれませんが、
自分が解決したい課題は何か、やりたい仕事は何か、
リトルてっちゃんの声の存在にも気づいていけたらなと思います。
大人、大人と書いたけれど、まだまだ自分は成長の過程なんだろうと思いました。