与えられた環境で頑張る
2016年に「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが流行りました。
ドラマのタイトルになった「逃げるは恥だが役に立つ」はハンガリーの諺だそうです。
苦手なものを避けることを恥だと思わず、
別の自分の得意分野で勝負しなさいという意味です。
自分の得意分野で勝負しなさいという部分とは少し違うんですが、
このハンガリーの諺は、今いる場所が苦しいんだったら、無理せず違う場所に逃げてもいいんだよ、と言ってくれているような気がします。
職場の人間関係が悪かったり、成長が見込めないような環境だったら、その環境を変えてもいいんだよと。
ミャンマーからの転職を考えていたときに、「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉は、
そっと自分の背中を押してくれました。
あまりにも今いる環境が劣悪なら、今すぐ環境を変えることを考えるべきでしょう。
そんな場所にいたら自分が腐ってしまいます。
環境を変えることはときには必要。
一方ケニアに環境を移した私は、与えられた今の環境で頑張ることも大事だなと強く思い始めています。
以下その理由を書き留めておきたいと思います。
環境を変えても習慣はあまり変わらない
私は、尊敬する大学の先生のような鋭い分析ができるようになりたいという夢があり、その実現のために博士課程に進学しもっと勉強したいと思っています。
ミャンマーにいるときはその準備をしなくてはと思いつつも、なかなかできませんでした。
やろうと思い立ってから携帯をいじり出し、なかなか博士課程出願の準備ができませんでした。
ミャンマーのときは尋常でない暑さや停電、wifi環境のなさのせいにしていました。
ケニアに移ってからはどうでしょうか、停電はときおりありますが、気候は涼しく、ネット環境も良いです。
実は、こちらケニアでもだらだら携帯を見てしまい、なかなか博士課程の準備が進みませんでした。
途上国の田舎だからでしょうか?
ナイロビに移っても、日本に戻っても同じような習慣を繰り返しそうな気がします。
環境のせいではなく、自分の意志の問題です。
本当に博士課程に進学したかったら、多少環境が悪くたって頑張るでしょう。
新しい環境でも問題はある。
ミャンマーでは、仕事の人間関係で悩まされることがありました。
ケニアに来ればその人間関係から解放され、良い環境で働けると思っていました。
ケニアでは大きな人間関係の問題はありません。
一方新たな問題にぶち当たりました。
汚職です。
お金が集まるところから、取れるだけ取るというケニアに根付く価値観のようなものに、日々苦しみました。
新しい環境に移ったからってストレスフリーなわけではないんです、新しい環境でも異なる問題があるかもしれません。
完璧な環境なんてない。
環境を変える度に新しい環境に文句を言っていたら、いつまで経っても自分は変わりません。
実は今ある環境を作り出しているのは自分自身だったりする
今いる環境はもちろん自分一人では変えられない部分もあります。
ただその環境の一部を作り出しているのは自分自身だったりすることもあります。
ミャンマーもケニアも住んでいた/いるのは、情報源が少なく、食のオプションも少ない途上国のど田舎です。娯楽はありません。これは変えられません。
でもその田舎で孤独を感じてしまうことは、必ずしも環境のせいではないように思います。
- 休日家に一人で引きこもっていないか?
- 現地の友人を作る努力をしているか?
- 他人との会話を絶って自分の殻に閉じこもっていないか?
以上のような質問攻めをされるとドキッとしてしまいます。
物理的な環境は変えられないけど、気持ちの持ち方や態度を変えることで、見える世界は変わってくるのではないでしょうか。
まとめ
与えられた環境に文句を言うのは簡単です。
しかし、
今何かを始める一歩を踏み出せないのは、本当に環境のせいだけなのでしょうか。
今の環境を少しでも良くする努力はしているのでしょうか。
環境を変えれば、やり始めることができるんでしょうか。
場合によっては環境を大きく変えるべきですが、今ある環境でもがくことも必要です。
与えられた環境で、今自分は何ができるか。
たまには少しの間環境を変えて、リラックスするつもりですが、
今年は今あるケニアの田舎町で、仕事も頑張り、博士課程の準備もやり続けたいと思います。