国際教育協力の潮流:アクセスから質へ?
ジャンボ!
朝シャワーを浴びているときに停電してしまったケニアの田舎町の日曜日です!
(キリマンジャロの朝焼け)
今日は国際教育協力分野でよく議論になるアクセスと質について。
アクセスの改善とは子どもたちが学校に来れるようになること。
アクセスを改善するためには、
例えば
- 小学校を無料にする
- 子どもたちが歩いて来れる場所に学校を作る
- 学校内に十分な教室を作る
- 学校内で飲み水や給食が出せるようにする
などがある。
質の改善とは学校に来て基礎的な学力を身に付けたり、テストの試験をあげられるようになること。
質の改善のためには、
例えば
- 教員の数を増やし、能力強化を図る
- 十分な学習時間を確保する
- 教材の改訂を行う
- テスト前に補習をする
などが挙げられる。
質の改善のための施策の方がより学校内の教育実施のプロセスに関わるものである。
現在国際教育協力の潮流としては、
アクセスから質へという議論がメジャーだ。
よく引用されるのはUNESCOのEducation for All Global Monitoring Report2013/14のこのデータ。
- 1999年の初等教育就学年齢の不就学児童数は1億700万人であったのが2011年には5700万人におよそ半減
- 一方で2億5000万人の子どもたちは基礎的な学力も有していない。そのうち半分の子どもたちは少なくとも4年は学校に通っているのに
小学校へ行ける子供の数は爆発的に増加した。
特に1990年のジョムティエンでの国際教育会議以降、国際社会が就学率の向上のために努力をしてきた。
一方でUNESCOのデータのように子どもたちを取り巻く教育の質の低さがハイライトされてきている。
ケニアでも、、、
大規模な学力調査を世帯単位で実施しているUWEZOの2016年のレポートによると
2015年ケニア全体での3年生の子どものうち約30%しか2年生レベルの学力に達していない
というショッキングな結果もでている。
確かに子どもたちが学校に行くだけでは、意味がない。
途上国の教育現場では子どもたちは学校にいるが、
教師がいなくてただ教室に座っているだけのことがあったり、
基礎的な理解がないまま進級してしまっている児童もたくさんいる。
学校に行くだけは意味がない、そこで”学ばないと!”。
という議論はもっともだ。
しかし焦点がアクセスから質に急激に変わっていく議論には違和感を覚える。
まだまだアクセスを改善するためのインフラさえ整っていない学校がいっぱいあるからだ。
ケニアの田舎の公立学校に行くと、
教室も水の設備も十分でなく、給食もない学校がいっぱいある。
聞くと、子どもたちの中には1時間以上歩いて学校に来ている子もいる。
学校で教員、学校運営委員会、親を呼んだミーティングで学校改善のアイディア出しをやっていても出てくる意見は、水タンク・寮の設置、教室の増設などで、アクセスに関するものが多い。(注:寮の設置は遠方から来る子どもたちのため)
ケニアで出会った教育に関わる人の中には、
校舎がなくても青空学級で学べる、
インフラが整っていなくても学力の向上を図ることはできる
と言っている人もいた。
しかし校舎や十分な設備が整ってこそ教育の質の改善に向かって努力できるんじゃないか。
最近の世界銀行のブログでも教育の質の改善のための学校インフラの重要性が論じられている。
アクセスの議論はもう終わり、今からは教育の質だ!という
アクセスを度外視した議論は危険すぎる。
教育の質の改善のためには、
アクセスも質も大事なのだ。
ただ最後に譲歩すると、アクセスじゃなくて質だと言っている現場の人たちの意見もなんとなくわかるような気がする。
校舎や学校設備の設置はお金がかかる。
ドナーがつかないと建設もできないし、時間がかかる。
今そこにいる子どもたちが学んでいないという現実に対して、どう対応するか。
インフラがない中でも短期的には学力を向上させる方法を見出すしかないのかもしれない。待ってられないのだ。
しかしだからといってアクセスの問題がなくなったわけではないので、
長期的にはアクセスの改善も考えていかないといけない。
それが教育の質に繋がっていくのだから。