NGOの現場で働く人は自己犠牲に満ちたマザーテレサなのか?
インドのカルカッタで人々の最期を看取る「死を待つ人々の家」というホスピスをつくり、ノーベル賞を受賞した人だ。
自分の人生を投げ打ってまで他人のために貢献しようとする彼女の慈善の心には深く感動する。
インフラが整っていない途上国に赴き、人々のために尽くすとされる援助関係者。特に現場に近いNGO職員にはこのマザーテレサのようなイメージがつきまとうようだ。
ぼくの経験では
ノーであることの方が多い。
自分の生活を全て投げ打って途上国の人たちの生活に尽力されている人はいるのかもしれないが、今まで会ったことがない。
途上国の社会問題を解決したいという思いは持ちつつも自分の生活もしっかり送りたいという人たちが大半だ。
日本にいる人たちと同じように恋愛で悩んだり、将来の生計のことを考えたり、美味しいものを食べたいと思ったりする。
真面目な人もいればお調子者もいる。
慈善、禁欲、聖人、チャリティー、ボランティア、、、
上のような言葉はあまり当てはまらないように感じる。
けにやまてっちゃんの場合も同様だ。
日本食を食べたいなと思うし、流行りのドラマも観たい、お笑いも観たいし、カラオケで友達と思いっきりはっちゃけたい、おしゃれなカフェでリラックスもしたい!!!
ぼく個人この業界に入る前は
NGO職員はみんな途上国の人たちへの慈善の心で溢れ、自己犠牲が激しくストイックな人たちだと思っていたけど、実際に働いている人たちに会うと全然違う人たちばかりだった。
普通ってなんだよって思われるかもだけど、いわゆる普通の人たちだ。
しかし、なかなか途上国の現場での仕事やそこで働く人たちは理解されないようである。
- 自分の生活を投げ打って人々のために働いているんだね。
- ボランティアで途上国の現場に行ってらっしゃるなんて頭が下がります。
- 素晴らしいことをされているんですね、生活はどうされているんですか?
なんて言われたりしてあまりぼくたちの仕事って理解されていないんだなと感じる。
ボランティア"精神"は豊富かもしれないけど、お給料はちゃんといただいてお仕事している。
まだまだNGOの仕事って、ボランティア(無償奉仕)だと思われていて仕事として認知されていないんだろうなと思うと同時に、
「私たちとは違う雲の上のすごい人」と距離を置かれてしまうことから個人的な寂しさを感じることがある。
NGOの現場で働く人たちのリアルを理解してほしい。
けれども現場で働く人たちが、ぼくたちの本当の姿を理解してもらえるようなアクションを起こしていたかと言われると否であるような気がする。
サバイバル生活や民族衣装を着た姿のようなキャッチーな部分を切り取ったテレビ番組はあるけれど、
途上国での生活が実はそこまで不便でなかったり、
ぼくたちの日々の悩みが実は日本にいる人たちと同じようなものだったり、、、
そんなことはあまり伝わってこない。
けにやまてっちゃんがこのブログを発信するようになったきっかけもそこにある。
NGOの現場で働いている人たちと日本で生活している人たちの心理的距離を縮めたい。
NGOで途上国の現場で働いている人たちは聖人でもなんでもないよと。
まずは現場にいるぼくから色々と情報発信できたら距離も少しは縮まるのかなと思ったのだ。