kenyamatecchanのブログ

途上国の田舎生活、孤独を体験したことも悪くなかったかもと思い始めたNGO駐在5年目。

以前のブログで、途上国の田舎生活、寂しい。孤独を乗り越えるためにはどうしたらいいかについて書きました。

kenyamatecchan.hatenablog.com

途上国の田舎生活ではともすると会話の数や笑顔が減り、引きこもりがちになり精神的に滅入ってしまうこともあります。

 

過去のブログでは、孤独であるという状態を認め孤独とどう戦うかという視点から、孤独とどう生きていくかと発想を変えることができるかが重要と言いつつも、どちらかというと「孤独への対処法」を書いていた気がします。

 

確かにいろいろな対処法を打つのは必要です。ただ今になって孤独と共に生き、ときには苦しい思いをしてよかったかもなと思い始めました。途上国生活の食事やインフラなどの表面的な投稿や記事は多いものの、そこで生活した人(特に田舎)の心境について綴った記事は少ないように思うので、今回のブログではなぜ悪くなかったかもと思うようになったか自分の考えを記しておきたいと思います。

 

これまでの私

2015年に大学院を卒業してからミャンマーケニアと途上国の田舎に駐在しました。多くの現地人の友人ができて、日本で暮らしている人や途上国の首都の日本人コミュニティにどっぷりつかっている人にはない交友関係を築いてきました。しかしどうしても心の底から信頼して気の置ける友人はできず、心のどこかで孤独感を感じていました。日本ではアウトゴーイングで多くの気の置ける友人と交友関係があった私、日本での生活は満たされていました。

 

一方途上国の田舎に赴任して、その物理的な交友関係がシャットアウトされてしまいました。色々とやることがあったのは事実ですが、外にでかけるよりもどちらかというと家にこもることが多くなってしまいました。

SNSを覗くことが多くなり、見たら他人と比較してしまい相対的に充足感を感じられないと分かっていてもついSNSを見てしまう自分がいました。なんとなく充たされない思いを抱いたり、人とのコミュニケーションを雑に終わらせるようになったり、自分でもあれなんか自分は変だなと思うこともありました。

 

確かに途上国での独り身生活、寂しかったです。でもその寂しさと共に生きてきて、ときには苦しいと思ったことで得られたこともあったかなと思います。そのいくつかを下記記してみたいと思います。

 

1.家族・友人が周囲にいなくなって恵まれていたことを知った

私は恵まれたことに、仲が良く愛に満ちあふれた家族の下で育ちました。両親は習い事の送り迎えや旅行など多くの時間を私に費やしてくれました。中学時代にはいじめにあいましたが、総じてこれまでの友人は優しくまた勉強や運動を励まし合う関係性を持ちました。大学時代には親友と呼べる友人と出会い、気兼ねなく多くのことを話せる友が近くにいました。日本にいるそれらの人たちとの関係が切れて、いかに自分は素晴らしい環境にいたんだと文字通り理解することができました。素敵な人たちに囲まれていることは当たり前のことではないんだ、あの交友関係は恵まれた状態だったんだったのです。一時帰国の際はその人たちとの時間を大切にしたいと思えるようになりました。

 

2. 自分は気の置ける人が近くにいないといけないと分かった

1と関連しますが、自分は寂しがり屋で一人では生きていけないんだなということが分かりました。日本で大学生をしているときに国際協力の道を志す決心を固めたのですが、その際は自分は絶対途上国の田舎で受益者の近くで活動するぞと思っていました。今思うと、そのときは途上国での田舎生活で心置ける大切な人たちとの関係が希薄になってしまうことがどれほど辛いことなのか想像が及ばなかったのだと思います。今まで家族や友人に囲まれて生活するのが当たり前でしたが孤独な環境に身を置いて初めて自分は、独り身生活は難しいな、ということが分かりました。やっぱり大切な人と近くにいたいです。

 

3. 人のありがたみに感謝するようになった

1.2.の続きですが、友人、家族、大切な人の存在を心の底から感謝できるようになりました。そういった人たちの存在に囲まれていたことに以前は何も思わなかったけど、今は一緒にいれる時間、会って話をする時間、その瞬間に喜びを覚えることができるようになりました。

 

4. 自問自答の時間を持てた

一人でいたことで、自分の置かれている孤独という環境、これまでの人生、これからのキャリア、人生で大切にしたいものについて色々と考えを巡らせることができました。飲み会や仕事で忙しいとなんとなく生きてしまいがちですが、時間の流れがゆっくりで、仕事が終わるとあまり行く場所がない途上国の田舎の環境。自然と自分と対話する時間を持てました。今までタブーとしていた過去の記憶を呼び覚ましたり、大学に本当に戻りたいのか何度も自分に問いかけたり。その日には答えが出なかった問いもたくさんありますが、徐々に自分の考えや思いが結晶化していったと思います。不定期ではありましたが、ブログという形で、その当時に思っていた思いをアウトプットすることで頭が整理されたこともありました。

 

5. まとめ(大人になった)

友人から言われることが多いのですが、精神的に成熟したようです。学生時代は、どちらかというとその場が盛り上がればいいやというノリで浅く表面的に生きていました。また途上国での国際協力について関与したいという思いはあったものの、とにかく思いが先行し、具体的にどのような立場でどのような専門性を持って貢献したいかビジョンがありませんでした。将来の家族や収入などについても考えを巡らすことはありませんでした。そんな自分が周囲の人に対して感謝の気持ちをしっかり持つようになり、将来のキャリアや大事にしたいこともはっきりしてきたことで周囲の人から大人になったと言われるようになったのだと思います。学生時代はただただ思いが爆発していました。今はその思いはありつつも具体性を持ってこれからの国際協力への関わり方(博士課程へ進学して教育政策の専門性を身に着けること)について語れるようになりました。またありがたいことにこれからずっと一緒にいたいと思う人とも出会えて、今後の人生を共に生きていく決心をしました。孤独生活だけが要因ではないとは思うものの、途上国生活の中で苦しみながらも孤独と共に生きてきたことで、精神レベルが一段階アップして結果的には良かったこともあったなと思うと、あの孤独生活も自分を老成させてくれる人生の一つのステップだったのだと思えるようになりました。最後に、自分は途上国生活5年目で上のような考えに至りましたが、個人差があり、無理だと思ったらそこから離れるという決断をすることも選択肢の一つだと思います。私がミャンマーの田舎に駐在が決まった際、途上国の田舎に駐在することについて欲しいアドバイスがあまりなく、あってもインフラ情報、過度に途上国の田舎生活を美化するもの、ミッションパッションドリームさえ持ってれば大丈夫みたいな謎の呪文しかもらえませんでした。

途上国の田舎に駐在する人が体力的にも精神的にも健康で生活することができますように。