途上国の現場でNGO職員として働くということ
途上国の現場でNGO職員として働くとはどういうことなのか、どういった経験をすることなのか。
普段は見えづらい現場のNGO職員のリアルを記したいと思う。
白い世界ではないと知ること
途上国の現場で働きたい、開発の最前線で働きたいと大学時代の頃から思ってきた。
地元のスタッフと共に汗をかき、受益者である子供たちや地元の人たちのために働ける、キラキラして天職のような仕事だと思っていた。
しかし働き始めるとそんな途上国の現場の理想像はイメージとは程遠いことに気づく。
NGOで働く現地の人は必ずしも地域の改善を第一の目標に働いているわけではない。NGOの給与は地元の給与レベルよりも高いため単に給与が高いからという理由で働いている人もいる。
また資金が潤沢なNGOからお金をぶん取ろうとする人もいるかもしれない。それは実はカウンターパート、政府の職員、さらには身近にいるスタッフだったりする。
途上国の開発プロジェクトのゴールの一つがSustainabilityで、外部資金に頼らず現地のスタッフや地元のひとたちによってプロジェクトを自立して運営していくことである。
でも実際は莫大な資金がつくプロジェクトの方が現地NGOにとっては楽だし、お金の心配もしなくていい。常に外国のドナーの資金を探し続けている団体もある。
良いプロジェクトを作り上げて自立するかよりも、外部資金を集めること。
困難な環境にいる人たちのために働こうというよりかは、援助のパイを合法的にまたは違法に(汚職)、自分または組織のポッケに入れるか、そちらに注力する。
プロジェクトうんぬんというよりはお金なのである。
たまにあれっと思うことがある。自分のモチベーションがスタッフや受益者より高くてなんだか1人浮いてしまう。
あれ途上国の現場の仕事の最終ゴールって自立じゃないっけ?
自立のために働いてるのにどうして外国人である自分だけのモチベーションが高いの?
本当に今自分がやっていることって意味あるの?
むしろ援助が入ることで逆効果になっているんじゃない?
そんな思いを抱くのだ。
しがらみや非効率なことがあることを知ること
私はどちらかというと理論や学問から開発分野に入ってきたと言っていい。
修士のときには途上国の教育について学んだ。
論文や授業では一言で済まされる教員研修、住民参加、スタッフのキャパシティービルディング。
実際の現場で実施するのは相当な苦労だ。
現在のプロジェクトは今まで校長や一部の村の権力者によって開催されていた学校運営の議論の場に多くの村人を参加させることで透明性のあるものにすることが目的の一つである。
一方で活動地は携帯の電波も入るかどうかわからない建物と言えば学校くらいしかない半乾燥地帯。
伝統や部族のしきたりが残る地域である。
目上の男性を立てる文化が根強いため、会議の参加者の多くは女性であっても、彼女たちが口を開くことは稀だ。
またマサイ族orケニアの文化では年上の男性が長々と話すことが良しとされる。
会議の内容と関係ないことであろうが延々と彼らの話を聞き続けなければいけない。
一回の会議が3時間を超えることもある。用意してきた会議のアジェンダを終えようとするが、私たちも村の人たちも疲れてしまい、会議どころではない。
ミャンマーのときは、お坊さんの言うことは絶対だった。関係者全体が彼の考えが非効率だと気づいていても意見を直接いう事は難しかった。間接的に提案をしても、考えは変わらなかったため、お坊さんのやりたい方式で式典をやらざるを得なかった。
逆に第三者である外国人だから言いやすいときもあるのだが、関係性の構築のためには非論理的だろうが、時間がかかろうが現地の文化に沿ってプロジェクトを進めていかなければいけないときがある。
ある失敗が組織なのか自分のせいなのかわからないという体験をすること
すべてのNGOではないかもしれないが、日本のNGOの多くは規模が小さく、歴史が浅く事業運営のノウハウがたまっていると言えない(またノウハウがあってもちゃんとハンドオーバーされるとは限らない)。
組織体制が整っていて、経験がある大企業であれば、人事・経理などの制度もあるだろう。
大方のNGOは途上国の現場で、これらの整備をほぼイチから作っていかないといけない。
もちろん組織の経験や個人の経験からうまく整備できる場合もあるだろう。
事業が始まる前の事前調査にお金をあまりかけられないなど団体の規模としての問題もあるだろうが、プロジェクトが始まってからどこかでこの詰めの甘さが露見することがある。
すべてをルール化・規格化する必要はないのかもしれない。一方で最低限の習慣やルールがないとどこかでぼろが出る。
こういったルールの整備が遅れていたり、事前の情報収集が圧倒的に欠如していることに文句を言うことはいくらでもできる。
一方で、現場でローカルな価格や情報に日頃から親しんでおき、様々な人から情報を取れるような人間関係を構築していれば、問題が起こる前に疑問を抱き改善策を練ることができる。
また制度がなくても自分でプロセスの改善を提案することもできる。
問題が起こったときに組織・運営体制が弱いということはもちろん要因としてあるが、結局現場で気がきかなかったり経験が足りない自分のせいでもあるのである。
そういった経験はすごく歯がゆいのだ。
自分自身を試すということ
ここまで課題だらけのNGOの現場について書いてきた。
文句はいくらでも言える。自分も文句ばっかり言ってきた。
今まで小学校から大学院まで素晴らしい仲間に恵まれ、環境的にも文句なしだった。
優秀な仲間や誰かが整えてくれた制度化された環境にいることが当たり前だった。
いきなり課題だらけ、ないないだらけの劣悪な環境に身を置いたら文句を言ってしまうのは仕方ないのかもしれない。
また途上国の現場の真っ白なイメージを抱いてきた自分にとっては、その衝撃は大きなものだった。
しかし、結局は白ではなく、しがらみがいっぱいある途上国の地で、組織基盤の弱い団体の一員として前に向かってもがき続けていくしかないのだ。
ローカルな文脈を理解しつつも、プロジェクトの目的の達成や説明責任を果たすためにはアクションを起こさないといけない。
スタッフが動かない・スタッフを変えられないなどの状況でも、プロジェクトのゴールを共有して、チームとしてゴールの達成のためにチームで動いていこうとモチベートする。ゴールの達成に向けてやるべきことを明確化することで、今やるべきことを明らかにする。
自分のモチベーションが高いことは悪いではない、周囲に働きかけることで彼らの意識を高揚させることができるかもしれない。
組織に対しても改善を要求したり、改善案を提案をしていくこともできる。
実際、途上国の現場に来ると修士だとか○○大学卒とかそんなものは役立たない。
逆に高学歴でない人が多い田舎では、学歴をひけらかしたり、専門性を過度にアピールすることで距離を置かれる。
肩書きをとっぱらったときのその自分自身が、どう考えどう動くか。
自分自身の人間力が試される。
ローカルなしがらみや事業を理解し、ときにはそこに片足を入れ一人の人間として受益者やスタッフに受け入れられるように努力する一方で、そこにはまり込んでしまうのではなく、今やるべきことを明らかにしてそれに向かってアクションを起こし、周囲に働きかける。そういった人間力が試される。
もしかすると、グローバル人材というのはネイティブばりの英語を喋られるということではなく、異文化を理解し、異文化の中のしがらみや制約の中でも自分で解決策を見つけ出し、周囲に働きかけながら課題解決のために前進できる人のことを指すのかもしれない。
自分自身と向き合うということ
NGOのプロジェクト実施の現場は首都から離れた田舎で実施されることが多い。
娯楽は少ないし、日本人の友人もいない。
一方で田舎の生活の中では自分と向き合う時間をたくさん持つことができる。
自分の生きる意味は何か、
今後どういったキャリアを築いていきたいのか、
そもそも自分はなぜ開発の道に進んだのか、
など自分と対話する機会をたくさん持つことができる。
自分は深い対話とまではいかないが、自分と向き合う時間を作れていると思う。
私は今までの人生を振り返ったときに、他人のアドバイスを鵜呑みにし、他人の要請に従って自分の人生の方向を決定する傾向にあったことが分かった。
今後は、色々な人のアドバイスをもらいつつも、自分が進みたい道を自分で決めていきたいと思う。
まとめ
停電もある、美味しいイタリアンもない、気のおける日本の友人もいない途上国の田舎で、どろどろ・しがらみ・課題だらけの環境が途上国のNGOの現場の環境であると言える。
実は今までずっと、学士→修士と進んだ後すぐにこのNGOの現場に飛び込んだ選択を間違っていたと思っていた。
まずは企業に入り、色々な研修や経験の機会を積んでから途上国の開発に関わる仕事をすれば良かったのではないかと。
友人でもそういう選択をした人がいっぱいいる。
確かに会計や事業管理などの組織で働く上でのスキルを身につけて置いた方がいいのかもしれない(そういった人がNGOの即戦力として求められているのも確かである)。
でも今は自分自身の選択は間違っていなかったと言える。
自分が憧れを抱いていた仕事に大学院卒業後すぐに就けたからだ。
その選択をしていなかったときの方が後悔していたと思う。
憧れの仕事の理想と現実のギャップに悩む期間が長かった。
これからはその現実の中で、今自分ができることは何かに注力してやっていこうと思っている。
組織の研修機会があるわけでもない。誰かがこれをしろと言うわけでもない。
でも自分で課題を見つけてその解決のために、今何ができるかを考えて自分で勉強してスキルアップすることはできる。
将来も途上国の現場のNGO職員として働くかはわからないが、
現在NGOの職員して働く身として、隣の芝生を見て羨ましがるのではなく、
今いる環境に全力で向き合ってみたいと思っている。
根性論っぽくなってしまったけれど、どこかで今と向き合うことが少しでも楽しいと思えるようになれたらなと思っている。
そういった心の余裕も持ちたいなと思う。